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老子・荘子に学ぶ
「老子に学ぶ」

古典に学ぶ 老子2

老子道徳経11章-無用の用

日常役に立たないと思われている物や人でも、
この世の中に存在するもの全てに意味があり、
役に立つとか立たないとか、
そんなちっぽけな判断を人間がすることそのものが間違っているのです。

老子道徳経第11章「無用の用」を、初代学長 早島天來の著書「定本・老子道徳経の読み方」から読み解いてみましょう。


【 初代学長 早島天來著 「定本・老子道徳経の読み方」 P71-72より】

うどの大木にも意味がある

世の中には、一見して無用と見えるものがたくさんある。「うどの大木」などというのが、そのよい例だ。しかし、それはしょせん人間が決めたことで、天の目から見ると、無用と思われるものが実は大きな働きをしている。

これが「無用の用」だ。

老子や孔子を生んだ中国の戦国時代の馬車を見ると、ちょうど自転車のスポークのように、車輪の周囲から中心に向かってたくさんの輻(や)が集まっている。その輻が集まったところに轂(こしき)があり、轂の中心部は空洞になっている。

もし轂の中心がふさがっていたらどうなるか。軸が通せないから車の用はなさないだろう。粘土をこねて器をつくる。これも内部に空間があるから器の用をする。部屋も窓も出入口があるから室の用をなす。


役立たずなんていない

家にしてもそうだろう。サラリーマンが、何とかマイホームを手に入れたいと思って一生懸命に働き、金をかけて家を建てる。しかし、よく考えてみると、金をかけて造るのは確かに家だが、人間が実際に利用するのはどこか。建物によって造り出された空間だ。もし建物の内部に空間がなかったら、家を建てる人なんて一人もいないだろう。

無用の用というのは、何も物と空間の関係だけではない。人間の世界も同じだ。「あの人はのろまだ」とか「役立たず」とかよくいうが、そんなことを誰が決めたのだ。二章でも触れたが、美があるから醜があり、善があるから悪がある。難易、長短、高低にしても片一方だけでは存在しない。あれこれ差別をするのは人間社会だけだ。

動物の社会を見なさい。のろまな動物、弱い動物がいるから、肉食動物はエサが獲れる。みんな速くて敏捷な動物だったら、虎やライオンはとっくに絶滅している。

天から見れば、この世の中に役に立たないものなど何一つない。植木が好きな人ならご存知だろうが、松が好きだからといって、松の木だけを庭に植えても調和がとれない。なぜかというと、天には松の木だけを育てようという意思がないからだ。


世の中にはいろいろな人がいる、それが自然

人間には背の高い人もいれば、低い人もいる。太った人もいれば、痩せた人もいる。
勉強や仕事ができる人もいれば、苦手な人もいる。
かつて旋盤を使わせたら名人といわれた人も、コンピュータ時代になれば役立たずだ。

人間の決める評価なんて、そんなものなのだ。
そこに気がつき、自然の流れに沿って生きることができれば、その人の人生は最高に幸せだ。

早島天來著「定本・老子道徳経の読み方」より


人間の決めた評価は不確かなものだ

人間の決める評価が、いかに移ろいやすく、時代とともに変化し、確定的なものでないか、ということが解ると、そんな評価に一喜一憂せずに、自分らしく、生き生きとした人生を送ることこそが、幸せな人生の拓き方だとわかります。

大金をかけて建てた家の、大金がかかった壁や屋根や家具ではなく、その壁や屋根にかこまれた、空間こそが人間の住居空間となるのだということがわかれば、無用とおもわれる、その空間の意味が見えてきます。


この世に役に立たないものは何一つ無い

ということは、日常役に立たないと思われている物や人でも、この世の中に存在するものが、すべて意味があり、役に立つとか立たないとか、ちっぽけな判断を人間がすることそのものがまちがっているのです。

宇宙はすべてのものをこの世に生みだし、それに優劣をつけなかったのです。 そしてすべての存在に意味があり、すべての存在が生かされているのです。

もちろん、あなたもその一人なのです。

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