TOP > 研究・交流 TOPICS > 江戸時代の日本、長崎にあった道観「崇玄観」
1月5日付、長崎新聞に一面左側に5段ほどで大きく、「川原慶賀の作品に道教の寺」の記事が掲載されました。
※長崎新聞社より取材を受けました。
⇒ 長崎新聞ホームページ
一昨年、長崎大学名誉教授 若木太一先生より、江戸時代に書かれた
『長崎先民伝』(1731年、盧千里著)に "神道家の大江宏隆が若いころから
京都などにも遊学し、道教、仏教、儒教も勉強し晩年に 長崎の田上というところに
崇玄観という道観をつくり修業していた"という記録があることを知りました。
日本に道観があった、という正式な記録があることに、まず驚き感動しました。
このように確実に道観があったということが、書物に書かれていることは、
異論が出ようのない史実として、ここに確定されました。
あわせて 江戸時代のシーボルトのお抱え画家であった 川原慶賀の画に、
非常に丁寧に描かれた、不思議な建物がある、ということを
長崎史談会 会長の原田博二先生が発見されて、このたび、その調査が進み、
崇玄観のあった場所が確定されたのです。
その記事がこれだけ大きく 長崎新聞に取り上げられたことは、タオイストとして
非常に嬉しいことで、またこれからもっと沢山のタオイズムの歴史が
日本の歴史の中から掘り起こされるであろうということが予想されます。
日中の文化交流という点でも、非常に嬉しい出来事となりました。
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2014.1.6