TOP > 名著に学ぶ > 気の洗心革命 > 「気」が失せると寿命も尽きる
瀕死の病人がいたとする。
医者としては出来る限りの手を尽くした、
うまくいけば助かるかも知れない。
そんな場合、医者はなんと言うだろうか。
こう言うのである。
「出来る限りのことはしました。 あとは本人の生きようとする気力の問題です」
科学的にうらづけされた西洋医学を駆使したうえで、
どうして科学者である医者がこんなことを言うのか。
彼らはそれまでの経験から、同じような、重体の患者を何人も見てきている。
そのうちの何名かは死亡し、何名かは生きた。
その生死をわけるものが気力であったことを、彼らはまざまざと見てきたのである。
科学者で有りながらも、
生命の神秘、
気の力を認めざるを得なかったのだろう。
だからこそ、ふだんから気の鍛錬が必要になる。
生死の分かれ道に立たされたとき、いかに気力をふりしぼれるか、
生に向かって気を充実させることができるか、
それを持続させることができるかが勝負になる。
「気」だけでいきているということは、その人の生命力を計るのに、
体力ばかりではない物差しがあることを教えてくれる。
天寿を全うするのに必要なものは、なによりも健康な「気」を保つことなのだ。
初代学長 早島正雄著「気の洗心革命」より
さあ、皆さん 読まれてどう思われますか?
今病気の無い方、
また少し病気がちのかた、
病気まではいかないがだんだん不調が出てきた方
それぞれの方が 気のトレーニングを積んでいただくことによって
健康な「気」の状態になります。
健康な「気」の状態とは、人間の体内を「気」が自然に循環して、留まらない、滞らないということです。
滞りができなければ、皆さんの「気」は大変有効に体内を巡り、元気を溢れさせ、
命を守ります。
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