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老子道徳経34章-道は万物のルーツ【早島天來の読み解く現代の老子】

タオを学ぶのに、老子はその根本的な哲学ですから、欠かすことができません。 といっても老子道徳経の全文を読んだことが無い方も多いことでしょう。 今日はその老子を、大変わかりやすく現代の人にむけて読み解かれた現代に生きる老子の名著 『「老子道徳経」の読み方』早島天來著 より第34章「道は万物のルーツ」をとりあげて、道(=TAO)が万物のルーツである、ということを勉強してみましょう。

34章 道は万物のルーツ

【 早島天來 書き下し文 】

大道は汎(はん)として、其れ左右す可(べ)し。
萬物之を恃(たの)みて以(もつ)て生ずれども而も辭(じ)せず。
功成って而も有せず。万物を衣養して而も主と為らず。
常に無欲なれば、小と名づく可し。
萬物帰して而も主と為らず。名づけて大と為す可し。
其の自ら大と為らざるを以て、故に能く其の大を成す。

早島天來の読み解く現代の『老子』】

この世の中には「道」という大きな流れが行きわたっていて、万物はすべてこの法則に従って生々流転を繰り返している。しかし、その道は誰も見ることも聞くこともできない。その存在すら気づかない人がいるくらいだから「小」である。小とは目立たないという意味だ。

しかし、この宇宙の万物はすべて道なくしては存在しない。人間や動物が性の営みの中で新しい生命を誕生させ、植物もまた季節や環境に合わせて花をつけ、実を結ぶ。大昔の動物や植物が石油や石炭に変わったといわれるように、一見自然とは関係ないような無機質にしても、そのルーツには生命を見ることができる。

道はそれほど偉大な働きをしていながら、功を誇ることもなく、支配しようともしない。これほど公平無私なものはないだろう。ここでいう聖人は、道を知り実践する人のことだから、道と同じと考えてよい。だから名付けて「大」という。

といっても「大」だとか「小」というのは人間がいっていることで、道はそんなことにいっこうに関わりなく、常に自然の法則に従ってすべてを任せている。なぜかというと、道は人為の小細工がどういう結果をもたらすか、先の先まで見通し、生半可な細工をすれば必ずそこからほころびが生じ、混乱を招くことを知っているからだ。

道とか聖人というと、別の次元の話のようだが、決して関係のないことではない。人の生き方も同じだ。大成を志すなら、くだらない小細工をしないこと。そして、功成っても誇らないこと。無我執、無所有、無差別であれば、そういう流れが自然に見えてくるようになるものだ。

初代学長 早島天來著 「定本・老子道徳経の読み方」 P173より


ここで言う「道」とは人間が考えた正しい生き方といった通常つかわれている道とは違い、宇宙に貫徹している原理原則であり、自然の法則です。

道を学ぶこととは

つまり道を学ぶことは、現代の自然科学、原子物理学にもつながる、深い真理でもあるのです。 私達はこの宇宙の大法則である、道TAOに添っていかされているのですが、その事になかなか気付きません。 死ぬまで気付かないひともいるでしょう。

このことが本当に体で感じられてくると、TAOをますます知りたくなります。 そして、またその先に、TAOそのものに包まれて、TAOに添って、TAOそのものとして生かされるということを目指すようになります。 

「生きるタオ」というこのサイトのタイトルも、そのTAOそのものが私達の体にも心にも実はある、ということを知っていただくきっかけとなることを目指して立ち上げました。

なぜ道TAOに気付かないのか?

TAOそのものが私達人間の肉体にも心にもあるのに、多くの人に気付かれていません。

その大きな理由は、私達の生活そのものが、自然からどんどん遠ざかっているからなのです。

ですが、3.11を越えた私達日本人は、今人間の力ではどうにもならない大自然の強大な力を目の当たりにし、大自然の法則である道TAOに気付くチャンスを手にしました。

これを生かし、今一度、大自然の中に生かされている人間の存在そのものについて考えて見るのか、大自然など無視をして、自分の目の前の幸せや欲望だけを追い求めてゆくのか、生き方の選択をせまられているのです。

自然が壊されてゆく、これは人類の未来も壊してゆくことになる

私達はここ数百年のうちに、人工的な文明をどんどん発達させて、私達のまわりには自然が少なくなり、日常生活も電化製品にあふれ、インターネットや、また自動車、ビル、飛行機、エレベーター、工場、ペットボトルの水、工場で栽培された食物、缶詰、遺伝子組み換え食品、などなど、日に日に自然から遠ざかってきています。

もっと早く、もっと沢山、もっと豊かに、という人間のあくなき欲望によって、自然はどんどん利用され、変化して、人間のまわりには、ありのままの自然が本当に少なくなりました。

ですが、どんなに文明が発達しても、私たちの肉体や存在が、人工的にかわるわけではなく、その根本を学ばずに、根本を知らずに、人間の命ということは語れないのです

今こそ人類は道TAOに気付くこと、目を向けることが大切なのです。
そして実は、今だって、もしかしたらもう遅すぎるかもしれないのです。

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更新日 2013年07月21日

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