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老子・荘子に学ぶ
「老子に学ぶ」

生きる老子

老子って誰?

老子とは紀元前の中国に生まれた、タオイズムの先駆者であり、道教の教祖にも祭り上げられた人です。

司馬遷の書いた『史記』には、「楚の苦県(くけん)の厲郷(らいきょう)、曲仁里(きょくじんり)の人で、姓は李氏、名は耳、字は伯陽、おくりなして聃(たん)という」とかかれています。

実在したとかしなかったとか、いろいろいわれていますが
今 そのことはちょっと棚にあげて
老子を知り 近づくためには またその「老子」の哲学を知るために大事なことは何かということを語ってみましょう。


老子の思想とは?

無為自然に生きるとか 水のようにいかされるとか
赤子のようにとか 美醜をいわないとか
いろいろな 大変印象的な言葉がつかわれて たった5千文字で語られている哲学です。


老子の説く人間の生き方とは?

無為自然が象徴的な言葉ですが、この宇宙に貫徹している原理原則に添った生き方をするということなのです。

その原理原則を「道」TAOと呼びました。


老子の考える人間と宇宙

人間も宇宙の一部、天地自然の一部として
この世に生み出されたものであると考えます。

西洋文明的な人間が自然を支配して、利用する、という考え方とは全く違う、人間もその自然の一部であると考えるのです。



人類が今直面している危機に答えをくれる老子

現代のように、温暖化現象、原子力発電への危機感、遺伝子組み換え食品への不安、など西洋的な考え方で走り続けてきた経済や文明や工業の発展や、すべてを人工的に作り替えるといった人間中心の考え方に限界を感じ、人類の未来への不安に、答えをくれるのが、この紀元前に中国で完成された「道TAO」の思想であり、「老子道徳経」の哲学なのです。

ですから自然の一部として、自然のありのままにいなさい 天地自然の流れのままに生きなさい、もっと言えば 天地自然のありのままの存在でいなさい。
ということを提唱しています。

▶ 無為自然の生き方を身に付ける気のトレーニング


5000文字で説く最も幸せな生き方

「自分」などというものを すべて忘れて
天地自然のままに生きられたら
それが最も人間にとって幸せな生き方なのだ と説いているのです。

たった5000文字でどうやって説くかということは
説明をしてしまったら 5000文字どころか 何十万字をつかっても難しい。
そんな内容を たった5000文字であらわした老子。
ですから 古来から理解が非常に難しいといわれたのです。

深い哲学を ただ数十文字であらわしているので、その理解の仕方については,それこそ沢山の解釈が生まれたのです。

老子を理解するには、老子の言葉をまず理解すること
そのあらわしている意味を理解すること。
そしてその言葉を忘れることです。
理解して その言葉を忘れる?
ということは どういうことかというと、
理解したら その言葉にもとらわれないということです。
なぜなら 老子はあらゆる執着をもつことによって
自我を持つことによって、とらわれが生じて、無為自然でなくなるからです。
老子道徳経を理解するとは
そこに書かれた言葉さえも、最後は忘れてしまう、これが老子が教えていた生き方なのです。
では言葉を理解し忘れても老子の無為自然でいられるためには
そこにどうしても必要なことがでてきます。
頭だけでは決して理解できない部分。
それが自分自身の体を無為自然にするということです。

▶ 自分自身の体を無為自然にする気のトレーニング


まず体を無為自然にする

自分自身の体を無為自然にするには
赤ちゃんのような、自然な内臓や肉体に戻すということです。

それは二本足歩行をして、生まれて何十年も、頭を駆使して、肉体を平均してつかっていない人間には、特別にそれを自然にもどすための
日々のトレーニングというものが必要になってきます。

それをしないと、二本足歩行で生きていて、そして現代の人工的な社会で生きぬいている私達が
無為自然な体に戻すことなどできないのです。

自然に無為自然に戻る ということは無理なのです。

老子が提唱した言葉や 伝えてきた生き方 思想
そういった表面上にあらわれた言葉
無為自然とか、赤子とか、水とか、素とか
そういった言葉も 理解したら忘れてしまうことです。

それにとらわれていることによって
何物にもとらわれない老子の生き方から遠くなるからです。

老子のように生きよう と思いながら
それに執着することで、その言葉を握り続けることで
初歩のころはよくても、だんだんその執着が強くなることで
無為自然から遠くなるのです。
では 無為自然を忘れてもいい というが それはどういうことでしょう
それは無為自然を、私達が歩くことを覚えたら、右足の次ぎに左足
というのを忘れるように
自分自身の体に体得することなのです。
自分自身の体を 人間としてのありかたを無為自然にしつづける。
無為自然にいつづけるためには、日々の「気のトレーニング」が必要になります。
ありのままにいるために、肉体を無為自然にします。

▶ 無為自然の生き方を身に付ける気のトレーニング

すべての思考は肉体なくしてはありえない

人間は肉体を持っていて、その考え方や思想も、その肉体に大きく影響されます。

堅い首や肩をもっていたら、堅い考え方になります。
ふっくらとした体なら大らかな少しいいかげんな考え方になる。
腰がふらふらしていたら、おちついた腹のすわった考え方はできません。

ようするに人間の考え方も生き方も、実はすべて肉体とつながっているのです。

▶ 性命双集~心とからだはつながっている~

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