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― 人生を最高に生きる 老子の言葉 ―
第二部 人はどう生きるべきか
第二十七章 自然な生き方善行無轍迹
~善く行くものは轍迹(てっせき)なし~
寒い冬を越えて、桃の花の咲く春が来ると、気持ちもほころんでなんとなく楽しくなります。
春の陽気の中で老子に学ぶ無為自然の生き方、今月は老子二十七章の「善く行くものは轍迹(てっせき)なし」です。
善行をしても、それを誇示したりせず、迹(あと)を残さない事こそ無為自然の生き方ですよ、というのです。
ところが私達は、往々にして自分の行動を誇りたくなります。
たとえば何か人のためにしたり、業績をあげたりすると、それを自分の功績として人に知らせ誇りたいと思うのです。
ですが老子はその自己顕示欲こそが我執であり、そんな気持ちで行った行為はすでに自分のための行動であり、善行ではないと教えています。
そして本来の天地自然に沿った行動とは、何事も自然のままの行動なので、誰がやったかわからないし、恩をきせるような事もしないというのです。
私達もある年数を重ねてくると、その人生について立ち止まって考える時があります。
そんな時に、たいてい自分の人生を評価する基準はまず結果として今なにを手にしているか、何を残せたか、という事になりやすいものです。地位や名誉やお金をたくさん手にしている人は意義ある人生だったと考え、それがあまりないと、たいした人生ではないと評価しやすいものですが、本当にそうなのでしょうか。
老子は教えています。目に見える形で残らない、余りに自然に名前も記録も残らない行動こそが善なる行いであるのですよ、と。
そしてそんな善行を重ねている人は、確実に天からの恵みをうけて心豊かな人生を過ごしておられることでしょう。
生涯現役の人生をより豊かにするためにすぐ出来る、そしてとても意味ある努力は、この目にみえない、形も残らない善なる行いを心がける事なのではないでしょうか。
職場や家庭で、毎日のあたりまえの食事やお茶の時間の会話を、もう少し大切にしてみる。
笑顔で「そうだね、わかる、わかる」そんな共感のさりげない一言が、最近なんとなく壁が出来ていたあの人とのコミュニケーションの糸口となり、夕食後の片付けを夫婦仲良く協力する事で、今日も一日ご苦労様、明日もよろしくのメッセージとなる事でしょう。大げさでなく、さりげないこの実践こそが、確実に心と体を陽気にし、若返り、生涯現役の楽しい人生につながるのです。
庭に咲いた春の花に心を癒やされるように、自然に笑顔がこぼれる心持ちで過ごせるように、気負わず行う小さな実践こそが、老子が教える人生を変える秘訣なのです。
※このページは、KKベストセラーズ発行の月刊誌「一個人」の連載記事
「人生を最高に生きる 老子の言葉(早島妙聴監修)」をご紹介しております。
この連載は、定本「老子道徳経の読み方 早島天來編」に更に詳しい解説を加え、
老子の言葉をわかりやすく伝えています。
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更新日 2018年3月10日